私のピアノ調律日記 (9月)


豊かな響き   ブリュートナーピアノC型       2001.9.3.(Mon)

今日お話しするこのピアノが、僕のアップライトピアノの価値観を変えてくれたピアノです。
もちろんこのピアノに出会うまでも、ピアノの価値観を変えてくれたアップライトには出会ってるのですけどね。
でも、このピアノは、僕の中ではちょっと特別の位置にいます。


「出会い」

このお家、伊藤さんの家は、当時小学校はいりたてくらいのお嬢ちゃん二人。 ピアノはお母さんが使ってた、古いヤマハのアップライトでした。
なかなか味のある、いい音のピアノでしたが、何せ、30年以上経ってましたし、ひとついいピアノに買い換えを、という話になり、磐田市にある、日本ベーゼンドルファーへ、ピアノ選定に行きました。
お目当ては、レーニッシュというドイツ製のアップライトピアノ。
ご主人と奥さまと、僕の3人で行きました。
いろいろあるレーニッシュピアノを充分見てもらい、おそらく初めて見ていただくドイツ製のアップライトピアノの良さに、理解もしてもらって、お気に入りの1台を決めてもらいました。
当初はヤマハのアップライトのつもりでしたので、当初の予算よりもかなりオーバーしましたが、充分納得されて、決めてもらったわけです。
そして、さあ帰ろうと思ってショールームの2階の階段から降りてきたところ、その階段の下に、まだ「調整中」と表示された、黒い小さなアップライトがあったわけです。
「へえ、こんなのもあるの?」と、ちょっとふたを開けてみたら、それが、ブリュートナーのC型と言われる、高さ117cmのアップライトだったのです。
そして音を出してみると、「!!、へぇ、すごい!!」と、調律も狂ってるそのピアノは、それでも、本来持ってる素晴らしい音を、充分すぎるくらい僕たちに聴かせてくれたのです。
伊藤さんの奥さま、「このピアノだめ!。こんなの聴いたら私だめです。」と言って、すぐにふたを閉めてしまいました(^ ^;)。
それほど衝撃的な音でした。 もちろん僕にとっても。

その夜僕は、あの音が耳にこびりついて離れませんでした。
伊藤さんも、帰りの車の中で、「あのピアノは、なんか魔力がありますねぇ・・・」と言っていました。
次の日、僕はどうしてもガマンできなくなり、日本ベーゼンに電話をして、そのブリュートナーを押さえてもらったのです。
そしてそのことを伊藤さんに電話で告げ、3日後に書類作成に訪問するときに、返事をもらう約束をし、3日後、僕は伊藤さんの会社(伊藤さんところは、アルナージュという、自動車部品、特にレースとかストリート関係の部品開発と製造販売をしています。)を訪れました。
対応に出た奥さん、もう満面笑みをたたえ、開口一番、「町田さん、私もう決めました!ブリュートナーに決めました。」。
結局、さらに100万円近く高いそのピアノを決めていただいたわけです。
僕のその時の一言は、「すばらしいです・・・!」(^ ^)。 ほんとでも、正直な感想だったのです。
なにか、まるで運命のような出会いが、現実になったようで、ほんとに僕はそのとき感動しました。


「ピアノ」

117cmというと、アップライトの中でもかなり小さい部類のピアノですよね。
実際部屋の中に納めると、どちらかというと「かわいい」という感じに近い、まあただ小さいだけのピアノにしか見えません。
ところが!、このピアノ、音を出してみると、もう全然見た感じと違うのですよ。
よく鳴る中音、華やかな高音、そして、この小さいピアノが、なんでこんな音が出るの?と、思わず何か仕掛けがしてないかと探したくなるようなよく響く低音。
しかもそれらの音が、深みと表現力の豊かさを併せ持ってるのですよね。
納品されたあと、奥さまと二人で、「このピアノ!が、名器ですよね。」と、話しあいました(^ ^)。


「メール」

納品されて少し経ったとき、奥さまからメールを頂きました。
原文がパソコンの再インストール時にどこかへ飛んでいってしまい、ちょっとうろ覚えなんですが、だいたいこんなことが書いてありました。

「・・・・ ブリュートナーが我が家に来てから20日ほどたちます。
毎日会社から帰って、夕食の支度をするまでのちょっとの時間ですが、ピアノを弾いてます。
最初気になっていたタッチの重さも、今では慣れ、かえって心地よく感じられるようになりました。
仕事から帰るとき、まるで恋人に会うような気持ちで、家に帰ります。

どうしてブリュートナーを買ったのか。
それは、私がいいピアノをほしかったからでもなく、
娘たちに、ピアノが上手になってもらいたかったわけでもなく、
あの音を聴くだけで、いえ、あの音を思い出すだけで、
私が幸せになれるからなんだな、ということを、
ブリュートナーが私に教えてくれました。

本当に惚れて買ったピアノですもの。
大事に使っていきたいと思います。 ・・・」


とってもうれしいメールでしたので、そのころ、何度となく読み直してました(^ ^)。


アルナージュ

先ほども書いたように、ご主人はカー部品の(特に足回り関係)製造販売を手がけています。
と言うよりも、レースのエンジニアとしてかなり活躍されてるそうなんです。
僕は、詳しいことはわかりませんが、でも僕も実は昔、自動車ラリーを趣味でやっていたもので、とても興味のある分野なんです(^ ^)。

だからわざわざこうやって紹介してる・・・のではなく、実は、ご主人が僕に話してくれたあることが、非常に印象に残ってるもので、それを紹介したいと思ったのです。

それは、だいぶん前の話なんだと思いますが、ご主人は、有名な「ル・マン24時間レース」に参加する、ある国内自動車メーカーのエンジニアとして、ご自身もル・マンに参加したそうなんです。
その時、ピット(コースのそばで、レース中の自動車の整備をするところ)で仕事をしたのですが、隣のピットは、ある欧州の自動車メーカーのピットだったそうです。
その欧州メーカーは、結局そのレースに優勝するわけですが、横で見ていて、車も、メカニックの人たちも根本的に自分たちとは違うそうなんです。
もう、ナットの閉め方ひとつから(!)、違うそうなんです。

なんか、ブリュートナーを見ていて、その話とダブって仕方がないのですよね。

伝統の力なんでしょうかねぇ。
ちょっと感動もしますが、ちょっと悔しい面もありますし・・・(^ ^;)。
でも、そういうことを感じられる、というのが、向上の原動力になるのだと僕は信じています。
伊藤さんもそうですし、日本人はきっとそういったことを感じられる、優秀な人がいっぱいいるのだと思います。

本当は、車もピアノも、日本製に期待してるのです、僕は。
そして、せめて調律の分野では、恥ずかしくないような仕事をしたいと思っています、が・・・(^ ^;)。
まだまだ知らないことだらけのようで、本当はこんなページを作るのも、とても恥ずかしいのですけどね。


「今日・・・」

その、伊藤様の調律でした(^ ^)。
相変わらず、よく鳴る、しかも深みと艶のある、いい音です。
音色が2年半ほどたち、少し変化も現れてきてるようにも思いました。
だいたいヨーロッパのピアノは、よく弾き込んで、しっかり手入れをしていくうちに、だんだんいいピアノへと変わっていくものだと言われます。
これからどうなっていくか、もちろん責任もありますが、楽しみでもあります(^ ^)。
今日は写真撮ってきました(^ ^)ので、皆さんにもお見せできます。 (でも、もうちょっとお待ちください。準備中で・・。)


「そして」

お待たせしました。m(_ _)m
写真が出来ました。


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レーニッシュピアノ      アップライト118CH     2001.9.8.(Sat)

レーニッシュという会社の歴史は古く、1845年、創始者カール・レーニッシュは当時サキソニアの首都でありヨーロッパの音楽都市のひとつでもあったドレスデンに工房を構え、ピアノ造りを始めました。
幾多の大戦、経済危機、政変などを乗り越え、現在はアップライトピアノのみの生産を行っています。
・・・というようなことが、パンフレットに書いてあります(^ ^;;)。

先日お伺いしたI様は、小学3年生のお嬢ちゃんのために、このレーニッシュのアップライトピアノを買われました。
ご家族中で、このピアノ、とても気に入ってもらってます。
お嬢ちゃんに、「このピアノ、好き?」と聞くと、うれしそうににっこり笑ってうなずいてくれました(^ ^)。

このピアノ、音はやわらかく、とてもかわいい音です。
激しくばんばん弾くタイプのピアノじゃないのかもしれませんが、それでもピアニッシモからフォルティッシモまで、表現力豊かな音が出ます。
ピアノって楽器なんだな、ということを思い出させてくれるピアノです。

またこの118CHは、見た目も優雅です。
前回のブリュートナーアップライトもそうですが、タッチは国産のヤマハなんかに比べると、少し重めです。
ところが、この音を聴いてると、このタッチが音によくマッチしていて、あまり弾きにくさを感じないそうなんです。
音を表現するために必要なタッチの重さ、というのがあるのかもしれません。
国産の軽めのタッチに慣れている人に受け入れてもらえるだろうかと、よく心配するのですが、いざこういったピアノを持ってみると、あまり気にならないようです。
かえって、そのタッチが心地よい、とか言う人もいます。
要は、音とタッチの連携、でしょうか。

ただ、こういったピアノ、一台一台ばらつきがあります。
それぞれいいのですが、やはりこういったピアノを購入するときは、現物を試弾してから決めるのがベターなように思います。

それに、本来音なんていうのは、好みに左右されやすいものですから、最終的なピアノの善し悪しの判断は、それこそ、ピアノを弾く人にゆだねるのがいいのでしょうね。


写真がありますので見てください(^ ^)。

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古典調律    レーニッシュグランドピアノ145ch     2001.9.13.

今回は、同じレーニッシュでも、グランドピアノです。
ついこの間まではレーニッシュはグランドピアノも作っていました。
現在はこのグランド、ニーンドルフという名前で、出ております。
8月にもご紹介しました、あの、「プチ・グランドピアノ」です。
だから基本的にはあのニーンドルフピアノと同じものです。
サイズも同じ145cm、音も、もちろん同じようですね(^ ^)。
ただ、こちらは、買ってから5年ほど経ってますから、音がかなり落ち着いて、低音から高音まで、とてもきれいな音になってます。
やはり最低音までしっかり音階を刻み、中音はきれいな音で良く鳴るし、高音もとてもきれいです。
このサイズで、(なのに!)低音もとてもきれいです。
これらは全部、持ち主の方の感想でもあります(^ ^)。

もう一つ今回のこのピアノの特徴(?)をあげますと、じつは、調律を、1年半ほど前から、平均率ではなしに、ヴェルクマイスター第1技法第3番という、古典調律で行っているということです。
平均率とか、古典調律とか言った音律の話は、また別の機会に是非書いてみたいと思いますが、かいつまんで言いますと、このヴェルクマイスターの調律は、G・H・C・Dからの上方5度に、ピタゴラスコンマと言われる約24セント(半音の100分の24)の狂いを4つに、ある割合で振り分け、残りの8つの5度を純正にとるやり方です。
(平均率はこの24セントを、12のすべての5度に12分の1ずつ、つまり平均に割り振っているわけですね。)
その結果、この調律法は、調号の少ない調では「和声的」に、つまりきれいな純正和音に近く、調号の多い調では「旋律的」に、いわゆるピタゴラス音律に近くなります。
ちなみに、J・S・バッハの「平均率クラヴィーア曲集」は、この調律で演奏されたと考えられるそうです。

調律替えをすると、最初しばらくはやはりちょっと調律が落ち着かなく、以前の調律法に戻りやすい、つまり狂いやすい面は少しありますが、このピアノ、調律替えをしてから1年半ほどになり、良く落ち着いてきてますので、この古典調律の特徴がとてもきれいに出ています。
感想ですか?
それはもう、このピアノの持ち主の方が一番よく感じていただいてるのだと思いますが(^ ^)。

ちょっとご紹介しますと、この方、作曲家で四日市にお住まいの櫻井ゆかりさんとおっしゃる方でして、この音律から受けるイマジネーションが、きっと作品に反映してるのだろうと僕は勝手に思ってるのですが(^ ^;;)、多分平均率だけ聞いていたのでは気付かないことを、この音律では感じさせてくれるのじゃないかと思っています。
さらにご紹介しますと、10月21日(日)、櫻井さんの作品である「石取祭 交響曲「O'katsuan」桑名賛歌」が、桑名市民会館で演奏(初演)されます。

平均率と古典調律、どちらがいいとか言う問題ではないと思っています。
平均率には平均率の美しさがあります。
例えば、薄墨を流したような・・・とでも言えばいいでしょうか。
ドビュッシーあたり以降は、もう平均率が主流になってますから、曲も平均率のほうがやはりきれいに聞こえるでしょう。

ただ、以前あるお宅で、そこはグランドとアップライトと2台ピアノがありまして、古典調律の話から、アップライトのほうをやはりヴェルクマイスターで調律したことがあります。
1年後におじゃましたときに、今度はよく弾くグランドのほうを古典調律にしてアップライトを平均率に戻して、ということになりました。
その時のことですが、アップライトを古典調律から平均率に戻していってると、調律が進むにつれて、ピアノの音の響きが変わってくるのが手に取るようにわかったのですよね。
それは隣の部屋にいたお客さまも、同じように感じたそうなんです。
なにか、豊かな響きがだんだんくすんでいくのです。
ちょっと別世界に移っていくような、忘れがたい感覚でした。
僕はその時、途中で戻すのをやめたくなったほどです(^ ^;)。
ピアノの響きは、鍵盤を叩いて出ているその弦の響きだけでなく、ピアノに張られているすべての弦に音が共鳴して、あの響きが出てるのだということを実感しました。

普通のご家庭では、古典調律というのはちょっと特殊ですから向かないとは思いますが、櫻井さんのお宅では、もう1台ヤマハのグランドピアノがありますので、こういった試みもやりやすいのだと思います。
でももしご希望があれば、僕は喜んで古典調律させていただきますよ(^ ^)。
その時はどうぞご依頼を(^ ^;;)。m(_ _)m

では、写真です(^ ^)。


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合唱と音律           2001.9.23.

昨日と今日、津市の三重県総合文化センターで「全日本合唱コンクール中部大会」がありました。
ちょっとここんところ、家庭の事情で合唱をお休みしてたのですが、今回コンクールの係をしたものですから、久しぶりに、しかもたっぷりと合唱を聴くことが出来ました。
昨日は、高校、大学、職場の部で、今日は、中学と一般の部でした。
中でも一番感動したのは中学の部でした。
中学生っていうのは、ほんとにあらゆる可能性を含んでいて、それがそれぞれの出場団体で、いろんな面を僕たちに見せてくれるのです。
まさに、粘土のようなもので、導き方により、ほんとにいろんなふうに変化していくのだなあ、と感じました。

ところで、合唱と音律というのは、かなり深い関係がありまして、本当にきれいな合唱をしようと思うと、どうしてもこの音律のことを理解してないと、なかなかうまくいかないんじゃないかと僕は常々思っています。
ただ、この音律の話は、なかなかややこしい部分がありまして(^ ^;)、果たして、こんな場所でうまく説明できるのだろうかとちょっと心配ですが、前回もちょっと触れたことですし、一度挑戦してみますね(^ ^)。

あらかじめお断りいたしますが、このことを知ってる方にはとてもまどろこしい話になるかもしれません(^ ^;)ので、どうかご容赦を。m(_ _)m



まず、音律とは、音階のことだと理解してください。
ドレミファソラシドというやつです。
と言うよりも、ドレミファソラシドも音律のひとつなのです。
でも今回話す音律は、ドレミファソラシドについてです。

ドレミファソラシドと言えば、皆さんはどんな音の高さが頭の中に浮かぶでしょう?
まあ普通は、ピアノとかキーボードから出てくる音の高さ、音律ですよね。
でも、本当はあの音は、狂ってる、と言えばびっくりされるでしょうか?
でも、それは本当なのです。
本当の音律、と言うか、本当に理論的にきれいなドレミファソラシドは、あのピアノの音の高さじゃないのですよね。
ピアノの音律は、平均律と言われる音律で、理論的にきれいな音律、純正律とか、ピタゴラス音律とか言われる音律とは、ほんの少しずれています。
それは、たまたま1オクターブを12等分したら、純正律とかピタゴラス音律と、音の高さが非常に近くなったため、12等分するようになったに過ぎないのです。
それに、そうすると、便利なこともありました。
つまり、等分してあるため、どの音からドレミファを始めても、同じ音の間隔で音階が作れるので、いろんな転調が容易に出来るようになったのですね。

そこでちょっと、さっきから出ている、純正律とか、ピタゴラス音律の話をします。

この二つの音律も、やはりドレミファソラシドなのですが、それぞれ微妙に(と言うよりも、かなり)違います。

まず、純正律というのは、和音を作るための音律です。
つまり、ドミソとか、ドファラとかが、ぴったりと響く音の高さなのです。(ここで話をしているドレミとは、全部移動ドだと理解してください。)
具体的にかいつまんで言いますと、例えばミは、平均律、つまりピアノの音よりも14セント(半音の100分の14の音の幅)低いのです。
同様に、レは+4セント、ファは−2セント、ソは+2セント、ラは−16セント、シは−12セント、平均率つまりピアノの音からずれた高さが、本当にきれいな和音を出すときの音の高さなのです。
きれいな合唱のハーモニーは、本当はこの高さの音で歌わないと、きれいにハモらないのですね。

ただ、合唱をしている人たちは、実は知らず知らずのうちに、けっこうこの純正律で歌ってることが多いのです。
つまり、耳でよそのパートを聴いて、そこから自分の音を探すと、これは自然に純正律のこの音の高さになるのですね。
ところが、ここからが少し問題で、せっかく取った純正律の音程も、次の音程に移るとき、とくに隣同士の音程なんかだと、たいていの人は平均律の音の幅を覚えているので、例えば14セント低いミの音をせっかく出しても、そこから平均率の音程でメロディを作ってしまうと他の音まで14セント下がったままの音程になってしまうのですね。
その結果、全体としてだんだんと音程が下がってしまうような現象がおきます。
特に中声部を歌うアルトやテノールの人は、ミファソと続くときのソの音や、ラからソへいくとき、あるいはラシドと続くときのドの音、などは十分注意しないと、どうしても音が下がり気味になります。
ただこれも、全部の音を平均率で歌うと、そんな心配はなくなります(^ ^;)。
ピアノでしっかり音取りをすると、音程の下がるのは防げます。
その替わり、きれいな純正調のハーモニーは得られないわけですね(^ ^;)。
  

もう一つありましたね。
ピタゴラス音律です。
これは、純正律とはちょっと違う音律なのです。
同じ部分もあるのですが・・・。
違うのは、ミ、ラ、シ、の音です。
ミは+8セント、ラは+6セント、シは+10セント、それぞれ平均律より高めです。
さっきの純正律と比べると、ミの音で、なんと22セント!も違いがあるのです。
ラ、シの音も同様で22セント高めなのです。

じゃあ、ピタゴラス音律って何? と思われますよね。
さっきの純正律は、5度(ドとソ)と3度(ドとミ)を純正にとった音程なのですが、ピタゴラス音律は、5度だけを純正にとった音律なのです。
ピタゴラス音律で歌うと、メロディーがとてもはっきりと浮かび上がります。
事実、日本の民謡とか、世界の民謡、グレゴリオ聖歌など、単旋律の音楽は、ほとんどみんなピタゴラス音律です。
これは自然の摂理なのですね。
(ごめんなさい、なぜ?はもう聞かないでね(^ ^;)。簡単に言うと、5度の音程を繰り返して作った音律がピタゴラス音律なのです。)
三波春夫とか(古いけど^^;;)、北島三郎とか、よく聞くとみんなピタゴラス音律で歌ってます・・・少なくともそう聞こえます。
ピタゴラス音律はメロディーがとてもきれいなのです。

だから合唱でも、本当はメロディーの部分は純正律でなくピタゴラス音律で歌ったほうがいい、と思うのですが、これは結構大変です(^ ^;)。
でも、オーケストラのバイオリンの人とかは、メロディーを弾くときと、和音を受け持つときでは、音程を違えて弾くそうです。
少なくともその辺をふまえて、音程を作っていくと、きれいな純正調の合唱音楽が出来るのじゃないかと思うのですが、う〜ん、難しい話ですよね。
理論はそうだけど・・・。

少なくとも、ピアノの音程に合わせて歌ってはいけない、ということです。
ピアノから音を取っていいのは、基音のド、あとはせいぜいファとソ、これらも2セントは狂ってますけど・・・。


まあ、ややこしい話は、今日はこのあたりでやめておきます(^ ^;)。
じゃあ、このあいだの古典調律ってなんだ? と言われそうですが、う〜ん・・・、それはまた(^ ^;)、ということで・・・。
まあ、簡単に言うと、純正律とピタゴラス音律をミックスした調律法なんです。

しかしなんですね、ピアノの調律師というのは、毎日一所懸命狂った音に合わせてるわけで(^ ^;)、因果な仕事だと時々思いますよ。(笑)


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音のイメージ           2001.9.29


先日の日経新聞朝刊で、心臓外科医の須磨久善さんという方が、「交友抄」というコラムで書いていた、「職人共通の思い」という文にとても興味を引かれました。
その中で、この方の友人で彫刻家の安田さんという方が、作品を作るときに一番大切なものとして、技術ではなく、最初にどれだけ鮮明なイメージができあがっているかなんだということを言われてたそうなんです。
この須磨先生も同じように手術の前に、心臓の状態や執刀の手順をしっかりと頭の中でイメージするそうなんですね。
まあ、自分の仕事をこの方達と同じように論ずるのは全くお門違いで、比べようもない訳なんですが、ただ、同じ職人のはしくれとしまして、非常に共感と言うか、示唆を受けました。

僕も最近いつも思うことは、調律をするとき、まずそのピアノを弾いてみて、このピアノはどんな音を出したがっているのか、とかをイメージすることなのです。
そうして、どこをどのように調整するのかある程度予想をしてから作業に取りかかります。
そして最後に、実際どうなったかをもう一度見てみるわけです。
なかなかその答え合わせが、いつも今ひとつ、一致したようなしないような(?)、ですけど・・・(^ ^;)。

それで、昨日は、もう30年ほどたったヤマハアップライトU5の木目ピアノ、そして今日は、やはり30年以上たったヤマハグランドG2でした。
それぞれもう、ちょっと古ぼけた(言葉は悪いですが・・)音がしてます(^ ^;)。
でも、この2台とも最初のイメージが湧きやすいのですよね(^ ^)。
それは、古ぼけた音と言っても、味のある音が出てるからなんでしょうか。
そしてやっぱりそれは、持ち主の思い入れから来てるのでしょうかねぇ・・・。
だから、そこのところを充分引き出すような調律・調整をするように努力をしてるつもりなんですが・・・。

う〜ん、今の新しいピアノと違うところは、「音の変化」でしょうか。
つまり、弾くタッチによって音にいろんな表情が現れる、というところです。
その表情が豊かなほどいいピアノなんだと思います。

昔、合唱指揮者の田中信昭先生は、「きれいな声には、なんの値打ちもないんだよ。」と、無表情できれいな声だけを出そうとしていた合唱団に言いました。
表現することこそが、音楽なんですよね。

ちょっと話が横にそれかかりましたが(^ ^;)、まあやはり、ピアノをさわってイメージが湧きやすいというのは、やはり表現の豊かさがイメージをふくらませてくれるのでしょう。
音に変化がなければ、それ以上、という気持ちにはなってきませんから。

そして、その最後の答え合わせのときは、出てくる音は、まあ予想通りだったり、時には残念ながらそうでもなかったり、でも、予想以上、ということも、時々あるのですよね
まあ、それは手前味噌で言うのではなくって(^ ^;)、ピアノの持ってるポテンシャルというものは、けっこうあるものだ、ということなんだと思います。
逆にそれを見抜けなかったということなんでしょう。


そんなことを考えながらする調律っていうのは、とっても楽しいものですよ(^ ^)。



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